五術

季刊五術より その13

「傷官」考 (命)    佐藤六龍著

季刊「五術」平成6年2月号掲載文から抜粋 前篇

 

新講義として『子平典故』と『子平芸海』をやるために毎晩、原文と辞書の引き比べに苦労しています。そして、今さらに中国は文字の国《文化発生の地》という感を新たにしています。中国辞書をひもとく苦しさはありますが、同時に子平におけるその吉凶象意と文学性豊かな熟語の深遠な意味のぴったりとした合致性に感激してしまうのです。

このような事は他の外国文学にはないと思うし、まして占術をこのように説いたものは中国以外には絶無でしょう。

特に、日本は中国と同じ漢字を用い、故事熟語にいたっては一部の例外をのぞいては中国と同じに解していますから、実に納得がいきます。今の若い人はなじみが薄いでしょうが、中年以上の人は『子平典故』に出てくる子平象意の言語は、日常使用している言葉ですから親しみがわきます。 

しかし、それ以上にすばらしいと感心する点は、我々が日常に用いているその熟語の意味を、子平推命の象意に実にぴったりと合わせている点です。

四柱推命術で、傷官星が喜神で強い命の人は、傷官の吉兆がでます。傷官は、日干を洩らすよさですから、その人の長所、才能がうまく出るという象意で、ここから才能発揮、表現力豊か、芸術文学性のひらめき、行動能力の順当、などがいわれるのです。

これを『子平典故』ではわずか四文字の「洛陽紙貴」(洛陽の紙貴し)で端的にあらわしています。日本では一般に「洛陽の紙価を高める」としています。

この四字の由来は、中国の三国時代に中国一の醜男の左思という文人が「三都賦」という名文章を著し、人々がこぞってこれを筆写(当時印刷術はなかった)したため紙の値があがった事によるのです。

つまり、日本では、よい著作が出る、出版物が一世を風靡する、自己の著作なり芸なりが世に受け入れられる、というふうに使用しています。

傷官が喜神で強い、つまり自己を洩らす吉兆が強い、ここから才能発揮で名文章を著し、その筆写のため紙が高くなった、というので、「洛陽紙貴」となるのです。

占術家にとって、傷官喜神が 「洛陽紙貴」という表現がなんともうれしいではありませんか。

【附】 洛陽の都の紙が高くなるほどの名文章とはなにかというと、「三都賦」という著作で、三つの都の風物をたたえた名文章の「三都物語」です。

JRのテレビコマーシャルに三都物語というのがあり、小生はJRもなかなかやるなぁ、三都賦にひっかけ、京都奈良神戸の三都物語 ― とは、と感心したものです。

しかし、実は全然そんな事は意識してなかったそうです。ワープロ一太郎というソフトも、日口戦争の時の初代岸壁の母の、一太郎やい!!いたら鉄砲(銃)をあげてくれ!!という母の言葉からとったものだと小生は思っていました。これまた思いすごしでした。小生が学がありすぎるのか(?)じじいすぎるのか……。