五術

季刊五術より その16

【富命と貧命】(命)    佐藤六龍著

- 季刊「五術」昭和56年6月号掲載分から抜粋 – 後編

 

子平でいう財とは、自己が汗水たらして働いた金銭を財という。故に親からの財がいくらあってもそれは富命ではない、また、土地などの値上がりの財も同じである。

故に、現在の金持ちを見る場合に、その人が稼ぎ出した財なのか、親からの遺産の財をたんに上手に流用しているのにすぎないのかを見きわめなければならない。

次に、いかなる富豪の家にも貧命の命式の子が生まれる事はあるという常識。ただ、金があるから、貧命であっても富命と同じ生活はできる。そのため第三者がみるといかにも富命のようにみえるのである。

以上の二点を、私はすっかり忘れてしまって宋子文の命式を説明してしまったのである。たしかに、大富豪の宋家にだって貧命の子は生まれるはずである。しかも中国随一の大金持ちであれば、宋子文一人が使う金ぐらいたかが知れており、第三者からみればその宋子文の生活はまったく富命と変わらない事になる。

私のノートには、富豪なり富命なりの子どもの財運を見る時は、親以上に財を増やしてこそ、始めてその当人に財があると言えるのであって、たんに親の財を保有していたり、一割二割増やした程度では財があるとはいえない、と記入してある。

まったく宋子文がこれにあたるわけである。宋家の財を宋子文の代になって倍にしたら富命であり、忌財で強いのに金持ちになってしまい、子平があたらない事になるのである。

 

しかし、現実はやはり宋家の財を増やしたとは考えられない。むしろ、今日のような中国になった原因は宋子文のような財閥がいたからであるといえよう。

ここで、私は徐楽吾の『古今名人命鑑』や尤達人の『現代名人命鑑』で宋子文の項を見てみた。やはり私と同じ誤りをおかしている。この二人は、私とはかく段の違いのある中国近世の推命の大家(透派にはかなわない)であるが、やはり、前述の二点、財とは自己が働いたもの、富豪の家にも貧命が生まれる・・・を見落としていたのである。

 

宋子文の現状にあわせ、歯の浮くような富豪礼賛の鑑定をしている。二人とも日主が弱いため土金を喜神としていながら、現状の富豪(ただし、親の遺産)に目をうばわれ、甲乙の財(正しくは忌財)を喜神としで見なくてはならない事になり、変な理屈をこねまわして説明している。

徐楽吾は、年支午中の丁火の官殺があり、月支亥中の壬水の食神が甲乙の財を生じ、官財印があって富命、というひどい鑑定である。

尤達人は、丁火の官殺、己土の印綬、乙木の卯を得た財によって三奇特禄の格などという支離滅裂な鑑定である。

どこの推命に内格で比劫と官財印が喜神になる喜忌のとり方があろうか。徐楽吾は、十干関係についてはすばらしい論文を書いているが、時々こうした変な鑑定をしている。ある中国の帝王の命式で、なんで帝王の子供にこんな乞食のような命式があるのか疑問だ、というような事を書いているのがあった。これも宋子文と同じで、どんな富豪の家にも貧命は生まれるし、いかなる皇帝の王朝にも賤命は生まれる、という常識の欠除から来た考えである。

皇帝の子供として乞食の命式の子供が生まれても、やはり皇帝には一応なれる、それから上に昇るか下るかが問題なのである。宋財閥の家に宋子文が生まれても、宋財閥を倍にしなければ富命ではない。たんに保っていたり、一割や二割増やしたのでは貧命といえる。

私はノートをみながら、やはり透派の推命は実にすばらしいと今さらに感心した。常識性と学理の面からいって、まったく非のうちどころがない思考法だからである。