五術

陽政道氏の講習のご案内

陽政道氏から、7月からの新規講義の開示依頼がありましたので、

こちらでも提示いたします。受講の申し込みは、直接陽政道氏へ

お願いします。ブログ「陽政道の五術的日常」をご覧ください。

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7月からの新規科目の予定をお知らせします。
6月20日までに申しこみをしていただくとありがたいです。

1.四柱推命象意集錦科+「子平芸海と窮通律」(10:30~11:30)
 前半は、四柱推命象意集錦、原題を子平粋語集錦といいます。
 干関係に重点を置いて、命式の特徴を四字熟語で簡潔に表現していく
    面白さがあります。今まで勉強した干関係とは観点が異なった面白さ
    もあります。
 後半数回は、「子平芸海と窮通律」を行います。梅素香の残した命譜
  「窮通律」と香草社で発刊している子平芸海を比較してみました。とも
    に同じ人物の命式を解釈していながら別判断となっているところの価
    値観の違いを味わってください。

2.子平占卜科+窮通律続編(13:15~14:15)
 子平術による雑占について述べた珍しい張先生の講義録で、他では見
    れない判断法です。
 命術としての四柱推命の干関係も深堀もできるし、卜占もできるよう
    になります。
 後半は、今度は王文澤が残した命譜「窮通律続編」について講義しま
    す。更には、今中国でブームになっている九天玄数という珍しい占術
 も紹介します。
 その他、今更断易や六壬は、難儀だという人で、でも、何か卜術を始
 めたい人向けに、東西の雑占を紹介していきます。
 
3.四化の使い方、紫薇雑論、紫薇財運秘法科(14:30~15:30)
 前年までの講義で行わなかった四化(飛星派)に関する講義を行い
 ます。その他張先生の残した紫薇の関する無星宮、源流、推時法の講
 義を行います。
 更に、香草社で行っていた紫薇財運秘法科の講義も行います。
 (盛りだくさんです)

4.現代断易実践科1(15:45~16:45)
 前年に引き続き、現代断易の占断例を多く見ていきます。基礎科に無
    かった原則も講義します。

季刊五術より その7

四柱推命の象意(命)― 財・官・印について ―

季刊「五術」・昭和55年9月5日号掲載文から その3

 

今度は、正官について考えてみましょう。いうまでもなく、正官とは、

1、日主を剋す干

2、日主と干合する干

であり、剋すとは、支配する、制御するということであり、干合は必ず正の関係にあります。したがって、陰干だけでいう場合、正官があるということは、自分がただしく制御され、支配されていることですから、妄動などはないはずです。

得力あるいは得制である正官は、おとなしい、品位がある、風格がある、自制心がある、衝動的でない、エレガントであるという象意になります。

不足の正官は、以上の象意の不足ですから、衝動的、我慢できな

い、自制心がない、風格や品位がないというように取ればよいのです。

大過の正官は、以上の象意の大過ですから、臆病、引っこみ思案、

自分を抑圧するというようになります。

以上のような象意をもつ干を、陽干から求めますと、次のようになります。

甲の日主は辛金が正官でなく、むしろある条件のもとに、庚金が正官になります。ある条件とは、

1、秋月生まれ

2、燥木である

という条件であり、辛金なら、むしろ、財とみなされます。

丙火なら、壬水が正官であり、癸水はちょっと正官とはいえず、

ときには殺、ときには財になります。

戊土なら、なにが正官であるか、見当がつきません。

庚金なら、丁火が正官であることは、いうまでもありません。

壬水なら、戊土が正官であり、己土はむしろ、財か殺にあたります。

乙木なら、戊土の正官ではないかという疑問がありますが、そう

見なす場合、その象意は少し修正されなければなりません。

ちょうどよい乙木の正官は、人を大切にする、誠実という象意に

なりますし、 

不足なら無関心。

大過なら一生いつも何かの重荷を背おうというようになります。

正財の象意は、正官をじゅうぶんに参考にして考えたらいいのであり、つまり、

1、日干が剋す干

2、日干が合する干

ということです。

我れが支配する、統率する、制御する、コントロールする、しか

も、正しくするのですから、陽干だけでいう場合、その象意は次のようになります。

ちょうどいい正財は、迫力がある、意欲がある、押しがきく、勤勉、経営や理財がうまい、ものごとの処理のしかたが上手、かけ引きがうまいなどの象意になります。

大過の場合は、相剋の相手が大過することから、押しが弱すぎて

迫力がない、怠ける、浪費するということになります。

不足の場合は、相剋の相手が弱すぎることから、また相対的に自

分が強すぎるから、押しつけがましい、強引すぎる、強欲である、力のゴリ押しというようになります。

つまり、官と財は、大きな共通点があり、それは、

1、日主と他干の干合

2、日主と他干の相剋

であり、わずかにちがう点は、ただ、

官は、他干が日主を剋す

財は、他干が日主に剋される

だけです。

だから、象意もそれほどちがいがなく、むしろ、よく似ているといえます。正官、正財、印綬をベースにして、他の七つの変通星を考えますと、よくその象意がわかるようになります。

季刊五術より その6

四柱推命の象意(命)― 財・官・印について ―

季刊「五術」・昭和55年9月5日号掲載文から その2

 

ここで正生という言葉が出て来ましたが、正とは偏に対

していう言葉であり、その意味は、

正とは、陰陽が違う関係

偏とは、陰陽が同じ関係

ということです。

正生とは、陰陽がちがう生じ方であり、つまり、

陰干が陽干を生じる

陽干が陰干を生じる

という、子平からいった良い関係です。

正生する印綬の干関係は、二つの傾向があり、

甲木の日主と癸水の印綬

乙木の日主と壬水の印綬

丁火の日主と甲木の印綬

己土の日主と丙火の印綬

庚金の日主と己土の印綬

辛金の日主と戊土の印綬

癸水の日主と庚金の印綬

という、日主が印綬によって強められる関係がその中の一つであり、もう一つは、

丙火の日主と乙木の印綬

戊土の日主と丁火の印綬

壬水の日主と辛金の印綬

という、日主の作用、有用性が印綬によって表現される関係です。

したがって、やさしい言葉で正しく表現しますと、印綬とは、

1、体としての日主を強める干

2、用としての日主を目立たせる干

ということになります。

自分の実力を強めたり目立たせたりするのが印綬ですから、その象意のポイントは、 「なるたけ労を少くして功を大きくする才能と願望」

ということになります。

このポイントをベースにして、

印綬の象意を、

1、喜神で弱い場合(不足)

2、忌神で強い場合(大過

3、喜神で強い場合(得力)

4、忌神で弱い場合(得制)

に分けて考えますと、1、2、3と4という三タイプの象意が考えられます。

得カ(喜神で強い)と得制(忌神で弱い)の場合は、スタンダードな印綬の象意であり、要領が非常にいい、人からの助けや引きたてが大きい、棚ぼた式のラッキー・チャンスが多い、労少くして功が大きい、ということになります。

不足(喜神で弱い)の場合は、以上のことが不足しているから、

要領が悪い、孤軍奮闘、棚ぼた式のラッキー・チャンスがない、労多くして功がない、というような象意になります。

大過(忌神で強い)の場合は、以上のことが大過しているから、

要領ばかりで実力や誠意がない、依頼心が強い、人ばかり頼りにする、棚ぼたばかり待つ、ずるく立ちまわる、というような象意になります。

以上が印綬の象意についての考え方であり、すべてが以上につきるといえます。

季刊五術より その5

四柱推命の象意(命)― 財・官・印について ―

季刊「五術」・昭和55年9月5日号掲載文から その1

 

一般に信じられていることは、子平はただ吉凶の断だけで、象意はむしろ紫薇斗数に頼るべきだということです。しかし、これは根も葉もないことであり、単なる想像にすぎません。

むしろ、紫薇斗数の象意は、ただの経験から一歩も出ず、ある星

がどんな象意かは、まったく理屈ぬきの経験で決められたものです。

ですから、経験のなかに錯覚があった場合は、理論あるいは法則

によって、その間違いを正すことができません。ただ、紫薇は紫薇なりのすばらしさがあるのです。

例えば、紫薇が高貴で天機が知恵ということは、経験的にそう感

じられただけのことであり、高貴と知恵が隣合わせになることは、単なる法則的な根拠もないのです。

しかし、子平の象意は、単なる経験だけではなく、どんな星がど

んな象意になるかは、きちんとした干関係によって構成されております。したがって、経験のしかたにおいて認識が正しければ、何の矛盾もなく、そのままとおりますが、経験の中に少しでも錯覚があれば、法則と相容れない結論になりますので、経験的な結論と法則による演澤的な結論が一致しなくなり、いずれの間違いかを判別すべき状態になります。

いうまでもなく、子平における変通星は、その性質をしめした名称で命名されており、その種類は、比肩、劫財、食神、傷官、偏財、正財、偏官(正式には七殺)、正官、偏印(正式には倒食)、

正印(正式には印綬)の十種類です。

変通星の象意は、基本的には正財、正官、印綬から成りたってお

り、つまり、

陽干は正財と印綬が基本

陰干は正官と印綬が基本

であり、他の変通星は、すべてこの三種類の変通星を基本にして展開されているのです。 もっと分かりやすく言い直すと、つまり、

陽干と干合するものが正財で陽干を生ずるものが印綬

陰干と干合するものが正官で陰干を生ずるものが印綬

というようになります。

だから、もっとも基本的な事実は、十干別にあげたら、

甲木は干合する己土が正財で正生する癸水が印綬

乙木は干合する庚金が正官で正生する壬水が印綬

丙火は干合する辛金が正財で正生する乙木が印綬

丁火は干合する壬水が正官で正生する甲木が印綬

戊土は干合する癸水が正財で正生する丁火が印綬

己土は干合する甲木が正官で正生する丙火が印綬

庚金は干合する乙木が正財で正生する己土が印綬

辛金は干合する丙火が正官で正生する戊土が印綬

壬水は干合する丁火が正財で正生する辛金が印綬

癸水は干合する戊土が正官で正生する庚金が印綬

というようになります。

次回に続く

季刊五術より その4

【金もうけの占い】  佐藤六龍著

  - 子平の財と皆財論 (命)-

 (季刊「五術」平成13年3月号から抜粋 後編)

 

競争も他と競うのではなく、他がだめになるから、自分が勝つ、という道徳を排した実践的占術感に立ったものなのです。具体的方法として遁甲行軍三奇・甲尊丙奇造作法 ――など。

子平推命術では、「財」を個人の先天的に所有している財に関する宿命と、それをいかに応用するか、の二点から究明していくのです。

生年月日の八字の中で、おのれが剋するものを「財」としています。ここは遁甲と同じく他を制する迫力が財なのだ、という感覚です。

子平ではさらにこの迫力の財を個人差でもって究明していきます。喜神財と忌神財です。それは財が迫力だとしても万人に迫力がよいというものでもなければ、迫力のみで財につながるものでもありません。そのため、迫力を喜忌の財としてわけたのです。さらに、この喜忌の財が命中八字に有る命、無い命とわかれます。

無い命は行運でいつくるか?来た時に命中に、どう作用するか?

有る命はその財(喜忌)がどこにあるか?年柱・月柱・時柱によって非常にちがってきます。

その有る財に対して他干がどう作用するか?

行運でその有る財にどんな作用をするか?

以上、あげだしたらきりがないくらい子平術では「財」に関して究明していく方法があるのです。これを自己の命にあわせますと、何人といえども「身分(宿命)相応の財が得られる」という結論になるわけです。

これを説いたのが『子平皆財論』です。

季刊五術より その3

【金もうけの占い】  佐藤六龍著

  - 子平の財と皆財論 (命)-

 (季刊「五術」平成13年3月号から抜粋 前篇)

 

人間の三大欲望は、「財・禄(官・権)・寿」とされています。

これは何人といえども望まない者はなく、しかも希望がなかなか成就できないものなのです。この三大欲望については一般社会の学問も常識もさけているか、ありきたりの修養論まがいに逃げています。

努力・修養・学問などは冷静に考えますとこの三大欲望に関してはまったくカラマワリの論にすぎませんし、これで人間の欲望がかなえられるなどとは何人も信じていないはずです。まして、現今のようにきびしい社会現象を呈している時、いかに無役なものかがはっきりしています。

努力などで成敗がきまるなら何人もしますし、現に二十代の男女がいっせいに四月に社会に出た時の、涙ぐましい努力、中年の男性の独立願望 ―― などをみても、いかに努力などというバカげた熟語が空虚なものかわかると思います。修養などにいたっては百害あって一利なしの机上の空論にすぎません。学問も、よい学校を出た人のみが成功するものではない事は衆知の事実です。

こうした事に対して我が五術は明確に答えを出し、しかもその実行法を説いているからすばらしいのです。

五術の中でこの ―― 「財」について具体的に述べているものには、子平推命術と奇門遁甲術の二大占術があります。

奇門遁甲ではこの「財」を迫力と競争の二点から財を得る方法を説いています。いかに人間が迫力をつけるか!そして他よりいかに一歩先んずるか!という事です。ここまで書きますと、前の努力修養論と同じではないか、と思われるでしょうが、そうではありません。

具体的に、いかに人間に迫力をつけ財にむすびつけるか、という点を十干の中から「丙火・甲木」をとりだして用いる方法を説いているのです。

季刊五術より その2

子平・紫薇の象意(命)】  佐藤六龍著

(季刊「五術」平成6年12月号から抜粋 後編)

 

小生がいつも述べていることですが、五術というものはすべて世間一

般的な考えや規範で象意や吉凶をいっているのではなく、あくまでも

五術側からの考え・規範で象意や吉凶をいっているものなのです。

ところが、一般の方は、一般の社会生活上の通念からの吉凶や象意を

五術にもってくるので、ここにちがいがでてくるのです。特に、成敗

的な事の象意は、五術上からも一般上からも同じになりますからちが

いはありません。財があるというのは万人がみても吉です。

しかし、前述の女性からみた夫としての男性像を占術で考える場合は、

まったくちがってきます。

特に、恋愛結婚や人物・性情にいたっては、占断依頼者側の趣味嗜好

が規範となって占術を云云しているのが大部分です。

前述の女性の「やさしい夫なら天同や天府」とか、「きつい夫は廉貞・

羊刃陀羅」というのは、あくまでもその女性の趣味嗜好上の「やさし

さ・きつさ」を頭にえがいて紫薇をみているのにすぎません。

正しくは、紫薇斗数という物差しの上での「やさしさ・きつさ」を、

天同・廉貞の上にのせているだけであって、その女性が夫なり男性な

りに求めている、やさしさ・男性らしさ・ほがらかさ、または、きつ

さでは絶対にないのです。

ですから、天同星一つをとりあげ、象意の「やさしさ・温厚さ」とい

っても、A女とB女の考えているやさしさはちがいますし、まして、

紫薇でいうやさしさはもっとちがうことになるわけです。

人の受け取り方がちがうから当然だ!といってはいけません。受け取

り方がちがうのではなく、各人の趣味なり嗜好なりの物差しと、五術

の物差しは、ちがうという点をいいたいのです。

ですから、なんでも五術を応用する時は、五術側の物差しの象意なり

規範なりで考えなくてはいけないということです。

財的にめぐまれている…、これは一般的には金銭を湯水のように使え

れば、これに当ります。しかし、五術では、その財が、自己が汗水た

らしてかせいだ金でなければ財とはいいませんから、湯水のように使

用している人でも必ずしも財にめぐまれているとは限らないわけで

す。

五術の象意というものは、このような重要な点がかくされているとい

うことを深く考えながら研究しなければなりません。