五術

季刊五術より その2

子平・紫薇の象意(命)】  佐藤六龍著

(季刊「五術」平成6年12月号から抜粋 後編)

 

小生がいつも述べていることですが、五術というものはすべて世間一

般的な考えや規範で象意や吉凶をいっているのではなく、あくまでも

五術側からの考え・規範で象意や吉凶をいっているものなのです。

ところが、一般の方は、一般の社会生活上の通念からの吉凶や象意を

五術にもってくるので、ここにちがいがでてくるのです。特に、成敗

的な事の象意は、五術上からも一般上からも同じになりますからちが

いはありません。財があるというのは万人がみても吉です。

しかし、前述の女性からみた夫としての男性像を占術で考える場合は、

まったくちがってきます。

特に、恋愛結婚や人物・性情にいたっては、占断依頼者側の趣味嗜好

が規範となって占術を云云しているのが大部分です。

前述の女性の「やさしい夫なら天同や天府」とか、「きつい夫は廉貞・

羊刃陀羅」というのは、あくまでもその女性の趣味嗜好上の「やさし

さ・きつさ」を頭にえがいて紫薇をみているのにすぎません。

正しくは、紫薇斗数という物差しの上での「やさしさ・きつさ」を、

天同・廉貞の上にのせているだけであって、その女性が夫なり男性な

りに求めている、やさしさ・男性らしさ・ほがらかさ、または、きつ

さでは絶対にないのです。

ですから、天同星一つをとりあげ、象意の「やさしさ・温厚さ」とい

っても、A女とB女の考えているやさしさはちがいますし、まして、

紫薇でいうやさしさはもっとちがうことになるわけです。

人の受け取り方がちがうから当然だ!といってはいけません。受け取

り方がちがうのではなく、各人の趣味なり嗜好なりの物差しと、五術

の物差しは、ちがうという点をいいたいのです。

ですから、なんでも五術を応用する時は、五術側の物差しの象意なり

規範なりで考えなくてはいけないということです。

財的にめぐまれている…、これは一般的には金銭を湯水のように使え

れば、これに当ります。しかし、五術では、その財が、自己が汗水た

らしてかせいだ金でなければ財とはいいませんから、湯水のように使

用している人でも必ずしも財にめぐまれているとは限らないわけで

す。

五術の象意というものは、このような重要な点がかくされているとい

うことを深く考えながら研究しなければなりません。