五術

測字のお話(2)

其の1
唐の僖宗が、年号を「廣明」としたとき、相字者を召し、この年号の吉凶を占わせた。
「昔、ある者が崖(がけ)の下におり、姓を黄といい、左足で日を、右足で月をふまえており、日月が明らかでなく、天下不安の兆しです」
これは僖宗をおもんばかり、昔ばなしに例えて言った断である。

崖の下の黄という人物は、「廣」の字の分解で、がけの正式字は、点をとった、がんだれ(厂)。その中に黄の字があるため、がけの下の黄という者、という断。
「廣明」で、黄の下に明があるため、黄が日(左)と月(右)をふんまえているとしたのです。
事実、この年に黄巣という逆臣が長安をおとした天下の大乱がありました。


其の2
宋の大宗が年号を「太平」としたとき、相字者にこの年号を占わせました。
「太平の二字は、一人六十の四字に分解できます。太は一人と点で、一人は国で一人は元首です。平は、太の点と平で六十となります。つまり元首の寿限は六十歳です」
はたして太宗は、六十歳で亡くなりました。

其の3

周尚幹が年末に、門の両がわに貼る桃符(吉譜の聯を書いた詩)をいろいろ書かせたが、一つのよい聯を得ました。
「門ニ公事無ク往来ハ少シ・家ニ陰功有リ子弟多シ」(門無公事往来少・家有陰功子弟多)尚幹はこれを見て非常に喜び、大きく門に貼りました。

これを見た相字者が、首をかしげて不吉であると。
かたわらの人が、よい聯であるのに……。相字者は、聯の上三字をとると、門無公・家有陰(門ニ公ナク・家二陰アリ)となって、何で吉といえようか?
これは測字ではなく、文の区切りで吉凶を説いたものです。すべて対(つい)で、門と家、公事と陰功、無と有、少と多、です。これを三字目で区切りますと前述のようになって、不吉になってしまうのです。
つまり、門(家)から科挙(公)の人が出ない、家に陰(凶事)がある――ということで、不吉としたのです。