五術

季刊五術:昭和53年2月号 紫微斗数の財運の見方

紫微斗数の財運の見方 季刊五術:昭和53年2月号
紫薇斗数推命術の十二宮のなかでの財帛宮は、その人の一生を通じての財運のよしあしの
一切を示す部位です。ですから、この財運という言葉を吉凶・貧富だけにわけたのでは、非常に
漠然とした判断で的を得る事はできません。
人間の運勢としての財運はもつと複雑でしかも、いろいろな形を持ってあらわれてきます。その上、
この財帛宮に入ってくる紫薇斗数の諸星は、種類も数多く、たくさんの象意とをあわせて判断し
なければなりませんので、初歩の人にはなかなかうまくつかめません。さて、この難しい財運という
象意を会得するには、まず財運に関する多くの事項をいちおう整理しておく必要があります。
整理さえしておきますと,一見判断のつかないような複雑な象意も、ごく簡単に把握できるように
なります。
まず財運に対する判断を大きく収入・支出にわけて考え、さらに、その収入では安易性と確実
性に分け、支出でも蓄財可能と不可能というようにこまかく分けます。つまり、この人の、
1、収入は多いか、少ないか。
2、収入は楽をして得るのか、非常に苦労して得るのか。
3、収入は安定しているのか、むらがあるのか。
4、支出は多いか、少ないか。
5、支出があっても蓄財可能か、蓄財不可能か。
以上の五条件を、人間の収入・支出という財運にしぼって整理し、それに紫薇斗数の諸星が
どんなふうに作用するか、という点を究明すれぱ、財運判断は非常に簡単になってきます。

お金がたやすく手に入る財運星
紫微・太陽・武曲・天府•太陰•貪狼・巨門・天梁・天相•破軍・文曲・文昌。(十二支が廟旺
で他星との配合が吉の場合)

苦労は多いがお金が入る財運星
天機・天同•廉貞・炎星・鈴星。(十二支が廟旺で他星との配合が吉の場合)

コンスタントに入る財運星
紫薇•太陽・武曲・天同•天府・太陰・天梁・天相・文曲・文昌。(十二支が廟旺で他星との
配合が吉の場合)

一回きり、または不安定な入り方をする財運星
天機・廉貞・貪狼・巨門・破軍・炎星・羊刃・陀羅。(十二支が廟旺で他星との配合が吉の揚合)

お金が着実に貯蓄できる財運星
紫薇・太陽・武曲・天府・太陰・貪狼・天梁・天相。
(十二支が廟旺で他星との配合が吉の場合)

お金が絶対にたまらない財運星
天機・天同・廉貞・巨門・破軍・炎星•鈴星・文曲・文昌•羊刃•陀羅。
(十二支が廟旺で他星との配合が悪くなくても)

以上のことを星別.にまとめてみますと、次のようになります。
紫薇星が財帛宮に入って条件がよければ、たやすく金が入り、収入に安定性があり、たくさんの蓄財も可能です。
天機星が財帛宮に入って条件がよけれぱ、苦労して金が入り、収入は一回きり、一攫千金的で収入が多くても
支出も多額です。
太陽星が財帛宮に入って条件がよければ、たやすくお金が入り、コンスタントに収入を得、入った金はよくたまります。
武曲星が財帛宮に入って条件がよければ、たやすく金が入り、コンスタントに収入が続き、入ったお金はよくたまります。
天同星が財帛宮に入って条件がよければ、苦労して金を得、コンスタントに収入もありますが、入った金は出費してしまいます。
廉貞星が財帛宮に入って条件がよければ、苦労して金が入り、一攫千金で一回きりの収入は多いが、入ったお金はよく出ていってしまいます。
天府星が財帛宮に入って条件がよければ、たやすくお金が入り、コンスタントに収入も多く、入ったお金は大金となります。
太陰星が財帛宮に入って条件がよけれぱ、たやすくお金が入り、コンスタントに収入も多く、金もよくたまります。
貪狼星が財帛宮に入って条件がよければ、たやすくお金が入り、ー攫千金の一回きりの収スがあり、入った金も蓄わえられます。
巨門星が財帛宮に入って条件がよければ、たやすく金が入り、ー攫千金で収入も多いのですが、入った金は全然たまりません。
天梁星が財帛宮に入り条件がよければ、金はたやすく手に入り、収入はコンスタントに続き、蓄財もできます。
天相星が財帛宮に入り条件がよければ、お金はたやすく入り、収入もコンスタントで、またよくたまります。
破軍星が財帛宮に入り条件がよけれぱ、金はたやすく手に入り、収入は一攫千金的であり、支出もひどい浪費です。
炎星・鈴星が財帛宮に入り条件がよければ、苦労してお金が入り、経常的でなく、支出も多大です。
羊刃・陀羅星が財帛宮に入り条件がよければ、苦労して金が入りますが、収入は経常的でなく、また支出も多大です。
文曲・文昌星が財帛宮に入り条件がよければ、たやすくお金が入り、収入はコンスタントで多いのですが、支出もまた多大です 。

季刊五術より その18

【 運命の作用(命)】     佐藤六龍著

季刊「五術」昭和56年掲載文から抜粋 後編

 

これをもう少し極端にいいますと、いかによい結婚をする命の人でも時には命に反して悪い結婚をしてしまう。また、いかに悪い結婚をする命の人でも命に反してよい結婚をしてしまう。これらはすべて経験から命を超えたものなのです。

こうしますと、何か命の占術を否定してしまうように考えられがちですがそうではありません。前述しました、正しい思考力、常識性によって、命より経験が優先するという事を知れば納得のいく考え方です。

先日、某デパートへ講演を頼まれて行った時の事です。その時にそのデパートの係長が命をみてくれというので、一緒に行った会員のH氏が子平と紫薇でみて判断しました。係長は、「実にこわいくらいすべてが当った。おどろくばかりです。ただ一つ当っていない部分があります」 ― というのです。

側で聞いていた私が、即座に、「その当っていない部分は、奥さんの事でしよう」と言いますと、これまた不思議そうに「どうしてそれがわかるのですか?たしかにそうです。家内の事です。それ以外はすべて適中しています。」とのこと。

つまり、私は経験が命に優先して、この係長は夫妻運が狂っているのだな、という事を感じとったのです。これは私が長年デパートへ運命学の講習に行っていて、そのデパートという職場の環境という経験を知っていたからです。

デパートは、女二十人(それ以上かもしれない)に対して男一人の職場です。しかも職場結婚の多い所です。男性側からいえば、命の入りこむ余地はまったくないのです。経験100%の所です。つまり男の命における結婚の吉凶に関係なく、職場における女性との縁で結婚がきまるのです。

そこには男性からの趣味嗜好は入りますが、命はまったく関係なく配偶者というのがきまってしまうのです。

経験が命に優先するというのは非常に大切な事です。かつてこんな例もありました。ある人が四十代の時、五十代に衰運がくるというのです。その人は命を研究していたのですが、衰運という事にたえられなくなり、日本の偽の仙道にこってしまい、自分の土地や家を手離し、自分独りになり、富士の山麓に小屋をたて、犬と小動物だけの仙道生活に入りました。

三年後に降りて来て言うに、遁甲でみて大凶方にいったのになんの凶兆も出ない、遁甲や命はインチキだというのです。これも正しい思考力がまったく欠けているからこうした低能的な発想になるのです。

あらゆる事の吉凶は、社会生活をしていてこそ初めて、そこの摩擦から生じるのであり、大自然の中で犬と暮らしている独り者に、病気以外の凶兆が、いかに大凶方でいってもおこらないのは常識なのです。しかし、この常識が占術をやる人にはないのです。

ですから、高野山や二十年の行に入る人は、病気以外の凶兆はいかに大凶方を使用してもおこり得ないのです。そして、どんな大凶方でいっても、仮に地位名声を失う大凶方で高野山へ行っても、病気にさえならなければ、すばらしい大きな地位をもらえるのです。二十年という人のやらない行をやった事に対してその宗門が地位をくれますから、地位失墜の大凶方で行ってももらえるのです。

しかも、山に一人入るのですから、凶方の作用というのは俗界におきるのであって、一人の世界には病気以外はおきませんから、まったく方位作用はありません。

このように、命も占術も経験もーつの大きな集団生活の中にあって初めて吉凶がおき、しかもそれは経験なり常識なりが、命や占術より優先するという事を忘れてはなりません。

季刊五術より その17

【 運命の作用(命)】     佐藤六龍著

季刊「五術」昭和56年掲載文から抜粋 前篇

私が五術を講習しだしてからちょうど十一年目になります。その間、いろいろの事がありましたが、現在もただ一つ残念な事があります。それは、どうして運命学に興味を持つ人は、非常識なのだろうという事です。

これは、その人たちの人格や学の有無とはまったく関係なく、五術を習いにくる人は、「正しい思考力・ありふれた常識性」に欠けているのです。私にはこれが不思議でなりません。思考力と常識性がなくて、どうしてこのきびしい世の中を渡っていくのだろう、ということです。

この正しいものの見方、考え方ができない人は、いかにすばらしい五術を修得しても、応用する事はできません。中国の五術は、この思考力を持ち、常識性のある人が活用して初めて花が咲くものなのです。

この思考力と常識性は、占術を応用する場合に、適中不適中を大きく左右する事になりますし、占術の限界を見きわめる事に非常に大切な事となるからです。

よく、大地震などの大災害で死亡する人はすべて、その命が短命なのかという事をいう人がいますが、これなどはこの二点が欠けているからこうしたおろかな考え方をするのです。

命というものは個人ですから、個人の吉凶が、大自然の吉凶にかなうはずがないくらいは、運命学をやらない人ならわかりますが、運命学をやる人はこれがわからないのです。

ここで人間の運命の作用について少し究明してみましょう。これについては、明確に『四柱推命術密儀』の書にありますから、ぜひご一読ください。

人間の運命に作用をあたえるものは、遺伝・生辰・玄影・経験の四作用です。作用の強さからいいますと、①経験 ②生辰 ③玄影 ④遺伝 の順になります。

経験とは、過去にやった事、起った事、現在おかれている環境などの常識的な事がらです。生辰は、生年月日時で命の事です。玄影は未科学的な要因で卜と相にあたります。遺伝は字のとおりです。

ここで占術を研究する人がぜひとも覚えていただきたい事は、この経験が生辰より優先するという点です。戦争や大災害は多くの人が死ぬという経験の前には生辰の命は一個の価値もないのです。長寿の人が酒によって線路に寝ていればひかれて死ぬのは経験であって、命の長寿の作用によって電車が止まる、などという事は絶対にありません。

ところが占術を研究する人は、常識と思考があやふやですから、命がよかったら大災害にあわないのでは、電車が止まるのでは、という経験を無視した常識の欠如をいうのです。

いちばん人間で問題になるのは結婚の経験です。配偶者ぐらいこの経験に左右され、自己の自由意思と趣味嗜好によって選定できるものは他にありません。例えば、貧富はいかに自分の意思でも金持ちにはなれませんし、寿命も同じです。

ところが配偶者だけは、自己の意思によりどうにでもなるのです。

つまり経験(広い意味の経験)によって命を左右してしまうのです。

例えば、Aタイプの女性と結婚する命をもっていても、Bタイプばかりの職場にいたら、命に反し経験が左右してBタイプの女性を選んでしまうのです。

季刊五術より その16

【富命と貧命】(命)    佐藤六龍著

- 季刊「五術」昭和56年6月号掲載分から抜粋 – 後編

 

子平でいう財とは、自己が汗水たらして働いた金銭を財という。故に親からの財がいくらあってもそれは富命ではない、また、土地などの値上がりの財も同じである。

故に、現在の金持ちを見る場合に、その人が稼ぎ出した財なのか、親からの遺産の財をたんに上手に流用しているのにすぎないのかを見きわめなければならない。

次に、いかなる富豪の家にも貧命の命式の子が生まれる事はあるという常識。ただ、金があるから、貧命であっても富命と同じ生活はできる。そのため第三者がみるといかにも富命のようにみえるのである。

以上の二点を、私はすっかり忘れてしまって宋子文の命式を説明してしまったのである。たしかに、大富豪の宋家にだって貧命の子は生まれるはずである。しかも中国随一の大金持ちであれば、宋子文一人が使う金ぐらいたかが知れており、第三者からみればその宋子文の生活はまったく富命と変わらない事になる。

私のノートには、富豪なり富命なりの子どもの財運を見る時は、親以上に財を増やしてこそ、始めてその当人に財があると言えるのであって、たんに親の財を保有していたり、一割二割増やした程度では財があるとはいえない、と記入してある。

まったく宋子文がこれにあたるわけである。宋家の財を宋子文の代になって倍にしたら富命であり、忌財で強いのに金持ちになってしまい、子平があたらない事になるのである。

 

しかし、現実はやはり宋家の財を増やしたとは考えられない。むしろ、今日のような中国になった原因は宋子文のような財閥がいたからであるといえよう。

ここで、私は徐楽吾の『古今名人命鑑』や尤達人の『現代名人命鑑』で宋子文の項を見てみた。やはり私と同じ誤りをおかしている。この二人は、私とはかく段の違いのある中国近世の推命の大家(透派にはかなわない)であるが、やはり、前述の二点、財とは自己が働いたもの、富豪の家にも貧命が生まれる・・・を見落としていたのである。

 

宋子文の現状にあわせ、歯の浮くような富豪礼賛の鑑定をしている。二人とも日主が弱いため土金を喜神としていながら、現状の富豪(ただし、親の遺産)に目をうばわれ、甲乙の財(正しくは忌財)を喜神としで見なくてはならない事になり、変な理屈をこねまわして説明している。

徐楽吾は、年支午中の丁火の官殺があり、月支亥中の壬水の食神が甲乙の財を生じ、官財印があって富命、というひどい鑑定である。

尤達人は、丁火の官殺、己土の印綬、乙木の卯を得た財によって三奇特禄の格などという支離滅裂な鑑定である。

どこの推命に内格で比劫と官財印が喜神になる喜忌のとり方があろうか。徐楽吾は、十干関係についてはすばらしい論文を書いているが、時々こうした変な鑑定をしている。ある中国の帝王の命式で、なんで帝王の子供にこんな乞食のような命式があるのか疑問だ、というような事を書いているのがあった。これも宋子文と同じで、どんな富豪の家にも貧命は生まれるし、いかなる皇帝の王朝にも賤命は生まれる、という常識の欠除から来た考えである。

皇帝の子供として乞食の命式の子供が生まれても、やはり皇帝には一応なれる、それから上に昇るか下るかが問題なのである。宋財閥の家に宋子文が生まれても、宋財閥を倍にしなければ富命ではない。たんに保っていたり、一割や二割増やしたのでは貧命といえる。

私はノートをみながら、やはり透派の推命は実にすばらしいと今さらに感心した。常識性と学理の面からいって、まったく非のうちどころがない思考法だからである。

 

季刊五術より その15

【富命と貧命】(命)    佐藤六龍著

- 季刊「五術」昭和56年6月号掲載分から抜粋 – 前篇

 

最近出して好評を得ている『四柱推命実践命譜』という書について大きな失敗をしてしまった。本そのものがどうこうというのではない。あの本は、中国近代史に登場する実在の人物の命式をあげ、四柱を究明したものであるが、その中にの

っている宋子文の命式について、大阪講習の密象科で、あるベテラン研究者から質問されたのである。

これは、日主庚金に根がなく、木の財星が三干三支で非常に強い。といって従財格になるかというと、生時に己土の正印があり、しかも日支の辰に通根している。

日主陽干の場合、いかに財殺食傷が強くとも、印があり通根していれば、従児従財従殺にならない、という原則にあてはまり、この命式は内格であり、木の財星が強く、日主が弱いことになる。つまり、財星は忌神となり、土金が喜神で水木

火が忌神という命式。『四柱推命実践命譜』にもこれはちゃんと書いてある。

 

質問者は、なぜあれだけの忌神の財なのに富豪なのか?という事である。たしかに、財多身弱の命である。しかもこの忌財たるや、実にしっかりしている根が三根あり、しかも日主に干合して倍加し、その上、年干の甲木より側支されている。

これほど強くしかもしっかりした忌財はちょっと類がないといえよう。

宋子文といえば、中国四大財閥の一人であり、先日亡くなった宋慶齢や米国にいる宋美齢と姉妹にあたる人で、その富豪はまた類のないものです。

密象科の講習で私は、たしかに忌財が強いが、乙木は日主を干合しており、年干の甲木が干合している乙を側支しないから、この甲木は忌財としてそれほど凶作用していない、また、弱い日主の庚金にしっかりした己土の印があるからよい・・・

など、いろいろと説明をした。これが大失敗という事である。

講習が終わって東京に帰り、ノートをいろいろとしらべてみると、大変な誤りをおかしている事に気がついた。

やはり、宋子文は正真正銘の貧命なのである。あれだけ忌財が強くしかも内格であるから、貧命の命式である。私はまちがった解説をしてしまった。ところでノートをみると、いろいろとそこに前に教えていただいたことが注意書きとしてこまごまと記入してある。これをすこし記してみよう。

 

季刊五術より その14

「傷官」考 (命)    佐藤六龍著

季刊「五術」平成6年2月号掲載文から抜粋 後編

 

話は変りますが、日本の一般のインチキ四柱になりますと、この傷官を、字づらだけ

からとらえています。

大阪の遁甲の講師をしていただいている、あの山内久司先生(必殺シリーズを作

った方)が、京都の四柱の先生から、「山内さん、あなたの生年に傷官があるから、

先祖は首切り役人だよ」(時代劇の神さまに向かってです)と言われたとのこと。

傷官から首切り、という発想、中国と比べて、なんとおそまつな事でしょう。

もちろん、日本では喜忌をいいませんから、傷官の凶さをいったつもりなのでしょうが、それにしても首切りとは味のない言葉です。『子平典故』では、忌神の傷官が強ければ「三紙無驢」としています。

日干を洩らす凶兆が強いのですから、無駄な事をする、余計な事をする、意味がない、という象意です。

中国の南北朝時代に美辞麗句でつづる駢文体が流行しました。当時、ロバは安物でしたが、学者がその安物のロバを買うのでも、その契約書を三通も駢文体で書き、それでいて、その三通の中に一字もロバの字がない、無駄な文章だった、

という事に由来して、徒労、無駄な事をする、要領を得ない ― という忌傷官に

「三紙無驢Lとしたものです。

㊟べん‐ぶん【駢文】

〘名〙 (「駢」は馬を二頭並べること) 漢文の文体の一つ。四字と六字を一句の基本とし、対句を多用する華美な文体。

喜神に「紙貴し」、忌神にやはり紙をもってきて無駄な契約書というのも、にくいではありませんか。

同じ忌神の食神、これも日干を洩らすのですから、やりすぎ無駄ですが、『子平典故』では「画蛇添足」とあり、蛇を書いた人が、時間があまったため、つい蛇に足を書いてしまった、という故事にのっとり、忌神食神を説いています。

『子平芸海』は典故とちがい、人物の命式を説明するのに、その人の一代の吉凶の特徴と業績をわずか四文字で表現してあるのです。しかも、何故にこの吉凶が出たか、を子平の干関係と喜忌で説いているのです。

孔子の一代の特徴を聖人と説かないで、「喪家之狗」 としてあるあたり、占術家としての目の鋭さがうかがわれます。

孔子は諸国を演説にまわっている時に、乞食とまちがわれた事が度々あります。それを、飼い主を失った犬にたとえるあたり、すばらしいではありませんか。そして、その理由を「化金帯甲」云々としてあります。従旺的化金格なのに、甲木の忌財の病があるという意です。

『子平典故』といい、『子平芸海』といい、文化発生の国でなくては、という感のする貴重な占術文献です。

 

 

季刊五術より その13

「傷官」考 (命)    佐藤六龍著

季刊「五術」平成6年2月号掲載文から抜粋 前篇

 

新講義として『子平典故』と『子平芸海』をやるために毎晩、原文と辞書の引き比べに苦労しています。そして、今さらに中国は文字の国《文化発生の地》という感を新たにしています。中国辞書をひもとく苦しさはありますが、同時に子平におけるその吉凶象意と文学性豊かな熟語の深遠な意味のぴったりとした合致性に感激してしまうのです。

このような事は他の外国文学にはないと思うし、まして占術をこのように説いたものは中国以外には絶無でしょう。

特に、日本は中国と同じ漢字を用い、故事熟語にいたっては一部の例外をのぞいては中国と同じに解していますから、実に納得がいきます。今の若い人はなじみが薄いでしょうが、中年以上の人は『子平典故』に出てくる子平象意の言語は、日常使用している言葉ですから親しみがわきます。 

しかし、それ以上にすばらしいと感心する点は、我々が日常に用いているその熟語の意味を、子平推命の象意に実にぴったりと合わせている点です。

四柱推命術で、傷官星が喜神で強い命の人は、傷官の吉兆がでます。傷官は、日干を洩らすよさですから、その人の長所、才能がうまく出るという象意で、ここから才能発揮、表現力豊か、芸術文学性のひらめき、行動能力の順当、などがいわれるのです。

これを『子平典故』ではわずか四文字の「洛陽紙貴」(洛陽の紙貴し)で端的にあらわしています。日本では一般に「洛陽の紙価を高める」としています。

この四字の由来は、中国の三国時代に中国一の醜男の左思という文人が「三都賦」という名文章を著し、人々がこぞってこれを筆写(当時印刷術はなかった)したため紙の値があがった事によるのです。

つまり、日本では、よい著作が出る、出版物が一世を風靡する、自己の著作なり芸なりが世に受け入れられる、というふうに使用しています。

傷官が喜神で強い、つまり自己を洩らす吉兆が強い、ここから才能発揮で名文章を著し、その筆写のため紙が高くなった、というので、「洛陽紙貴」となるのです。

占術家にとって、傷官喜神が 「洛陽紙貴」という表現がなんともうれしいではありませんか。

【附】 洛陽の都の紙が高くなるほどの名文章とはなにかというと、「三都賦」という著作で、三つの都の風物をたたえた名文章の「三都物語」です。

JRのテレビコマーシャルに三都物語というのがあり、小生はJRもなかなかやるなぁ、三都賦にひっかけ、京都奈良神戸の三都物語 ― とは、と感心したものです。

しかし、実は全然そんな事は意識してなかったそうです。ワープロ一太郎というソフトも、日口戦争の時の初代岸壁の母の、一太郎やい!!いたら鉄砲(銃)をあげてくれ!!という母の言葉からとったものだと小生は思っていました。これまた思いすごしでした。小生が学がありすぎるのか(?)じじいすぎるのか……。